1960年代後半に欧州特許制度の創設が議論されている間、商業競争が激化する世界において、先行技術調査と審査を正確かつ包括的に行い、高品質な先行技術調査結果を提供する能力の問題が、新しい欧州特許庁の成功の鍵となる要因であることは常に明らかだった。最初から、適切にその任務を果たすためには、欧州特許庁は包括的な文書と十分な先行技術調査力を利用できる必要があったのは明らかだった。この段階の様々な機会ですでに、IIB(国際特許協会)は、先行技術調査業務を実施する将来の特許庁として貢献する可能性のある組織として挙げられていた。

世界的に増加する特許文献、各国特許庁における限られた資源のもと、IIBは1947年に設立されたが、先行技術調査や審査、相当数の特許庁の特許や実用新案(詳細な先行技術調査や審査をしない登録制度)の付与業務を行うことができた。当初の創立の目的は、欧州産業の利益のため、そしてさらなる経済発展とニーズに備えた中央審査機関を作るために、優れた特許情報検索サービスを提供することだった。

ベルギー、フランス、ルクセンブルグそしてオランダ間の外交協定は、1947年6月6日にハーグで調印された。この外交協定に基づき、加盟国に提出された特許出願の新規性および進歩性に関する先行技術調査を行うためにIIBが設立された。これは、先行技術調査活動に関する各国特許庁の初期段階における協調の一つだった。のちに、モナコ、モロッコ、スイスおよびトルコが協定に参加し、最終的に1965年に英国がこれに続いた(しかしながら、英国は正式な先行技術調査として利用したことがない)。実際には、IIBは、創設加盟国による批准後の1949年に先行技術調査サービスを開始した。

オランダ特許庁特許審議会と緊密に協力しつつ、IIBは、数十年にわたって、膨大な特許文献が分類された文献集合と、大量の科学技術定期刊行物およびその他の科学的非特許文献の文献集合を作り上げた。1975年には、特許文献が分類された文献集合は約1千万文献から構成され、その中には、約千件の科学技術定期刊行物に基づく60万件の非特許文献の技術論文も含んでいた。すでにこの時点で、この文献集合は、分類された特許文献と特許関連文献を含むものとしては最大の文献集合の一つとなっていた。

IIB は約4万5千の分類単位の内部分類体系を開発しており、その約3分の1が国際特許分類のサブグループに一致している。先行技術調査の大部分が、全文を含む紙の文献集合を使って行われた。1969年には、IIBは機械可読な媒体でも書誌データを保存し始め、当時はコンピューター支援の先行技術調査に使用された。

協定に調印した加盟国の特許庁のために、IIBは審査手続きに備えて新規性調査報告書を提供した。さらに、1883年締結のパリ条約の加盟国以外の人や機関のために、IIB は依頼人が明確にした主題事項の先行技術調査を提供し、無効調査、パテントファミリー調査、ウォッチングサービスも提供した。

1975年前半に、合計で 800 名の職員がIIBに採用され、そのうちの約500 名が工業/工科大学の学位を所有し、先行技術調査分野で勤務していた。使用言語は英語、フランス語、ドイツ語、オランダ語だった。オランダはIIBに免責を付与し、IIB と依頼人との全てのやりとりは両当事者のみで極秘に行った。これらすべては、将来の欧州特許庁の職員にとっても大体において必要不可欠な条件だった。

実際に、論理的観点から組織の歴史、ツール、必要条件そしてまた特に数十年にわたってIIBで作り上げられた職員や発展を考慮すると、将来の欧州特許庁に関連して重要な役割をIIB に割り当てる考えが政府間会合やミュンヘン外交会議の期間中に深まることは驚くにはあたらなかった。 

 

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