多数の国が属する欧州で、機能的な特許付与システムを提供することを前提にEPOのような組織を設立する場合、準備段階、特に運用の初期段階において、既存の各国特許付与システムに付随できるよう様々なレベルでの調和に集中することが必要条件だった。特に初期においては、参加特許庁間の法律の調和が中心であったが、新システムを実現させるためには新しい規則を実施するための実務の調和と、締約国における調和のとれた法理を確保することも優先された。これは新システムを成功裏に実現し、ユーザーから高い評価を得るという長期的な目標を達成するためだった。

1973年の欧州特許条約(EPC)は、以前の国ごとに異なる特許付与手続きの状況と比較して、新しく先進的な法制度に基づく集中的な手続きを欧州に導入した。EPCの導入は特許法の調和を検討し、既存の国内特許法に適応させる取り組みのきっかけとなった。当初、この取り組みは主に欧州で始まったが、この欧州での新しい展開に関する議論を中心に、国際レベルでの同様の検討や実施運動にも貢献することがあった。例えば、三国間プロジェクト12やWIPOの作業計画の中で、1963年にモデル化されたストラスブール条約に基づき特許法の主要な規定を調和させた。そして署名国がそれに応じて国内法を改正することを約束する目的で、国際協定の策定作業が開始され、継続された。EPOにとって最初の10年間の重要な任務は、当時の13ヶ国の加盟国の実体的な特許法の規定を欧州特許条約の規定と一致させるために、様々な取り組みを行うことであった。特に、特許性の要件や取り消しの理由(特許性、新規性、進歩性、発明の適切な開示)、条約によって与えられる保護、そして特許の解釈の仕方を調和させることに集中的に取り組んだ。

1980年代半ばまでに、EPOと締約国の各国特許庁によって既に付与された、あるいは付与される過程にあるすべての特許について、特許性、有効性、与えられる保護の範囲を定める法規定が事実上調和された。しかしながら、締約国の様々な法律の文言や要旨が同一であるというだけでは、13ヶ国すべての関連当局や裁判所が同じように解釈して適用しているという保証はなかった。他の分野における国際法の統一に関しては、過去に、そしてある程度は最近でもそうであるが、まったく同じ文言であっても法的基準の解釈や実施に違いが生じる可能性があるという問題を示していた。そして、欧州特許制度は、知的財産権の紛争を保護するための欧州司法裁判所のような機関を想定していなかったので、そのような問題において適切な実務を管理し維持する責任は各国の特許庁及びEPOにあり、そしてさらに紛争が進んだ場合には、特許訴訟の実態が大きく異なる上その実務が各国の伝統に根ざした各国裁判所に依存していた。また、特許法と特許実務の形式的な調和にとどまらず、EPCの成功のためのさらなる重要な要因は、法文に定められた原則が実務の適用において守られ、そして実施されることであると明らかになった。そしてこの点については、各国の裁判所が決定的な役割を果たすことになった。この制度の成功は、調和された法規定が一様に解釈され適用されることを裁判所が保証できるかどうかに大きく依存していた。

1980年代半ば、当時「共同体特許(community patent)」と呼ばれた特許の設立に関する議論が進む中、共同体法の統一的な運用の問題も重要なテーマとなった。1985年12月にルクセンブルグで開催された共同体特許に関する政府間会合において、“community patent common appeal court“(COPAC)が、共同体特許条約に沿った統一的管理を確保するアプローチで構想されたが、ここ数十年の歴史が示すように、当時はまだシステム全体の実現まで何年もかかっていた。最近、これは「単一特許」としてよく知られており、当時COPACと呼ばれていた役割は、現在、統一特許裁判所(UPC)という名で具体化されつつある。

EPCでは、統一特許裁判所のような機関の設立は想定されていなかったので、合意が形成されるような説得力のある判決を下して判例法の一貫性を促進する任務は、特にEPOの拡大審判部や審判部にあり、それは現在も続いている。このような努力は、欧州特許に関して欧州全体で統一された法理を支える上で非常に有益なものであったが、それに加え、各国レベルの裁判所や上訴機関の多様性による一種の競争から欧州レベルでの一貫した法律の運用が生まれることは明らかであった。しかし、それは判決のために提供された論拠が、欧州レベルで同様の判決の方針に従うほど説得力がある場合に限られた。裁判所や上訴機関といった機関に対して提供された事実が十分な説得力を持たない場合、(意思決定者における個人的見解と最終的に下す法的判断を違えてまでも)法律の一貫した適用に従う唯一の理由は、一貫性のために特定の解釈を受け入れる機関の個々の意思に依存し、さらには各国の個人の意思に依存することになる。そして、いずれの場合も、統一された判断プロセスを支援するための不可欠な要素は、各国と欧州の裁判機関の間に開かれたコミュニケーションのチャンネルを作り、裁判官が国境に関係なく見解や経験を交換できるようにすることだった。

目次

前章 61章:1980年代後半における三国間の進展(4)

次章 63章:法理の調和-審判官シンポジウム(1)