以前述べたように、欧州における特許法の調和に向けてすでに1950年代後半には、より広い範囲において欧州経済共同体(EEC) が始動していた。今後の発展についてより良く理解するためには、別の重要な欧州の協会、つまり欧州自由貿易連合(EFTA :1960年設立、当初はEEC 外の欧州加盟国7か国で構成) が産業財産権の状況に関して同様の結論に達したということも知る必要がある。当初は、EFTA がEEC 外での欧州諸国の別の貿易連合を代表していた。1965年には、特許法の調和、統一的な特許付与手続きの発展を目的として、また、欧州の既存の労働組合の枠を超え、より広い範囲で制度を確立するために加盟国を拡張することを意図して、EFTAのメンバー国は作業部会を 設立した。この活動は、以前にEEC 作業部会が打ち出した基本方針と同様であって、1967年の将来的な制度の構想素案へとつながるものであった。
欧州での1965年の“空席危機”以来、停滞気味の発展あるいはこれらの議論の低迷という雰囲気と、最終的に1970年採択の特許協力条約(PCT) をもたらすUSPTO のイニシアチブの観点から、共通の特許制度に向けた動きの必要性が、欧州各国での政治的展望において、着実に具体化していった。少なくとも欧州の一部における、産業の競争力における国際的発展に対して考えられる悪影響の懸念は、欧州間の議論に対して新たな勢いをもたらした。そして1960年代後半には、主要な欧州の経済連合 (EU および EFTA) の両方で、将来の欧州特許制度の発展に合わせて、特許法をある程度整合する必要性が、再び強く認識された。EU の当初の加盟6か国と他のEFTAの7か国で、これらのアイデアを一層深めるために、強固な経済的基礎さらには一層の政治的基礎さえもが築かれた。
実際には、次のイニシアチブを開始したのはフランスだった。1968年後半には、フランスは EECのメンバー国に、共通の欧州特許制度に関する議論の再開を提案した。1965年以降の数年間でEFTA のメンバー国が実施した事前作業とEEC での先の議論を組み合わせて、次の重要な段階が来ていた。1969年1月にフランスは、欧州特許法のトピックを再開させるよう欧州共同体の閣僚理事会で具体的な提案をした。(近年、主にEFTA がそうしてきたように、) 議論は主要な二つの流れに沿ってなされるべきである。一方は、欧州特許庁が特許の束を付与するという考えである。この制度はできるだけ多くの欧州国家に対して解放することが考えられていた。もう一方は、この提案における統一欧州特許のトピックは、何年も前に作業部会で議論されたことの再生であるというものである。より多くの欧州国家に対して解放される特許の束という考えとは対照的に、単一特許としての統一特許はEEC のメンバー国にのみ解放されるべきである。
次章 5章:政府間会議
前章 3章:1960年代