1988年に三極特許庁の議題となった特許情報実務について深い関心を寄せていたトピックス、すなわち公開目的でのCD-ROMの使用は、1989年に最初の成果を示していた。短期間の分析と製品開発の後、EPOは1989年1月1日に発行されたEPO特許出願のファクシミリデータの最初の収録を1989年9月に発行した。1989年の三極会合で、EPOはESPACEとFIRST CD-ROMのデモを行った。ESPACEの各ディスクには、約800件の特許出願の明細書全体、合計約10,000ページの文書のファクシミリデータが収録されていた。また、より多くの文献に簡単かつ迅速にアクセスできるように、ESPACE FIRST CD-ROMも同時に開発された。このCD-ROMには、書誌データと特許出願のフロントページだけが収録された。これにより、1枚のCD-ROMで3ヶ月分の特許出願公開情報を検索することができるようになった(FIRSTシリーズは四半期ごとに発行され、4枚のCDに1年分の特許公開データが全て収録されていた)。

1990年には、EPOで使用されているESPACE規格に基づき、USPTOのデータを使用した試作を制作することに三極レベルで合意した。また、当時はまだこの新しい媒体に対する人々の認識が十分でなかったため、三極特許庁は日本、アメリカ、ヨーロッパの特定の場所でCD-ROMを一般に公開することを決定した。これにより、この新しい媒体が提供するデータ活用の大きな可能性に、より多くの人々の関心が集まることが期待された。

ここで興味深いのは、CD-ROM媒体が利用可能になる前は、印刷された形態の欧州特許出願の全てを収集するコストは、もちろん年間の出願件数にもよるが、およそ30万ドイツマルクだった。CD-ROMの公開により、当該収集コストは以前と比べて10分の1以下の価格となった。このような大きなコスト削減の効果を考えると、新しく開発された媒体(1970年代後半にソニーとフィリップスがコンパクトディスク開発の出発点であるCDの開発に合意し、1982年に商品がリリースされ、1989年に特許情報の分野で初めて広く使われるまでに、約10年という比較的短い期間しかなかった)が、情報ランドスケープに大きなインパクトを与えたことは印象的であった。

最後に、プロジェクト12に関しては、バイオテクノロジー関連発明(プロジェクト12.3)、進歩性(プロジェクト12.4)、コンピューター関連発明(プロジェクト12.5)における三極特許庁の実務の比較研究が1988年に終了している。その結果、バイオテクノロジー関連の特許取得に関して、実務が大きく異なっていたことが実証された。これは、主に3つの地域における法律制定の相違に起因するものであった(多くの地域では最近も同様である)。進歩性の評価方法については、わずかな違いがあるのみで、また、コンピューター関連発明の扱いについては違いは確認されなかったという結論に達した。

第8回三極会合は、1990年10月にミュンヘンのEPOで開催され、JPOとUSPTOの新委員、植松敏氏とHarry F. Manbeck氏が出席した。第6回、第7回会合期間に合意されたプロジェクトをさらに発展させ、三国間協力の重要な礎となる会議となった。

1990年末に三国間協力が再開され、電子的に記録された特許明細書とその交換に関する統一規格の合意により、基本的には自動化分野における一連のプロジェクトを推進することが可能になった。

特許データ普及の条件に関しては、特許図書館におけるデータベースの一般利用の金銭的条件について合意に達し、特にEPOによる日本の特許抄録の利用、EPOデータベースECLA、IVE、FAMIへの日米のアクセスについて言及した。

DNAのコード化については、今回の会合で三極特許庁は、カタログ化された配列のデータベースを作成することも決定した。このデータベースについては、一年以内に商業利用のための条件を検討し、次回の三極会合で決定できるように準備する必要があった。

特許出願件数の増加に対応するための長期的な方法に関するプロジェクト(プロジェクト17)の基礎となることを意図して、EPOとUSPTOとの間で、両特許庁間の検索結果の交換を試験的に開始する協定が結ばれた。

この会合の結果、新しいプロジェクト「First page project」が開始した。このプロジェクトの実施により、三極特許庁は、それぞれに申請された出願のフロントページのテキストと図面にアクセスできるようになった。そのためにフロントページの記述に関して統一した標準仕様が採用されることが前提条件だった。

会議終了後、三国間協力が始まって以来初めて、三極特許庁の長官が各地域の産業界及び特許専門家の代表と会合をもち、三国間協力の進展に関する情報交換と今後の展望が確認された。このイベントを皮切りに、産業界の代表者とも三極会合の機会に同様の会合が開催されるようになった。

三国間協力が始まった1990年までの8年間は、三極特許庁にとって大きな挑戦の連続だった。作業量の増加、自動化ランドスケープの急速な進展、そして特許ランドスケープにおける国際化の必要性の高まりは、三国間協力の緊急性を証明するものだった。そして、この協力は約30年間続き、新たな課題も度々持ち上がったが、特許ランドスケープの様々な分野で重要かつ素晴らしい成果をもたらした。また、EPOにとってもこの協力は、特許付与機関としてだけでなく、創造的な、ある側面では特許ランドスケープの将来の発展に関して先見性のある機関として、グローバルプレーヤーとしての役割を発展させる重要なステップとなった。

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