プロジェクト12「特許実務の調和」における調和問題についての三国間の作業は、1987年から1988年にかけての発明の単一性に関する実務の調和およびいくつかの管理実務と手続きにおいては、重要な結果をもたらしていた。しかし、プロジェクト12の他の分野では、三極特許庁の法的な状況の相違により、調和の可能性が大きく制限されることが明らかになった。EPOは、EPCの導入と、国内特許法および国内法学との調和を図る試みにより独自の経験を積んでいた。しかし、より国際的なレベルで活動するEPOにとって、特許法と特許実務の調和は、ヨーロッパの特定の地域に限定されないテーマであることが一層明らかになった。また、三極特許庁間での必要性だけでなく、世界の特許ランドスケープにとっても重要なテーマであることがますます理解されるようになった。このような背景により、特許法の調和はWIPOの作業計画の主要なトピックに発展することが明白となった。
その結果、三極特許庁は法律の調和の必要性を促進し、このテーマに関するWIPOの作業に間接的に貢献する他の方法を模索することに合意した。この意図のもと、当時13ヶ国であったEPOは、JPOおよびUSPTOとともに調和問題により大きな勢いを与えるための非公式フォーラムを設立することに合意した。1988年には、EPO加盟国13カ国を代表するミュンヘンクラブと、EPO加盟国、USPTOおよびJPOの代表からなる15クラブという2つの非公式な討論「クラブ」が設立された。これらの非公式な討論グループの主な目的は、特許法の調和のためのプログラムを直接作成することではなく、三極特許庁が様々な手段を用いてWIPOの調和作業を支援することにあった。つまり、まず各特許庁は、調和問題に関して自分たちの見解を分析・調整し、各大陸の特許制度のユーザーの見解を収集した。これに基づいて、将来の調和条約の個々の部分に関する提案、追加的な内容の提案、さらには条約案の一部に関する起草や文言の提案などを行い、WIPOの作業に貢献した。
両クラブは1988年に創立総会を開き、初年度に一連の重要な論点が議論に加えられ、一部はWIPOの調和条約案に盛り込まれることになった。例えば、発明の単一性に関する三国間協定を条約案に取り入れることが提案された。このような三国間協力の成果はその後幾度も、WIPOの法の調和に関する文書においてのさらなる議論、さらには実施のための核となった。
第7回三極会合は、1989年10月末にワシントンで開催された。同年6月に東京のJPO新庁舎落成式で臨時会議も開かれたものの、三国間の主な準備作業は10月の会議に集中した。
1988年10月の会議も、三極特許庁における業務量の増加の中で開催された。例えば検索結果の交換を拡大するなどのアイデアが三極特許庁間で議論されたが、この分野での具体的な合意には至らなかった。最終的に各特許庁は、このテーマを新しいプロジェクト17「増加する特許出願に対処するための長期的方法」に充てることに合意した。
この会議では、特許情報の普及(プロジェクト10)、CD-ROMの利用(プロジェクト15)の分野で大きな進展があった。特許情報の普及に関しては、三国間で交換された情報を相互に特許図書館で利用できるようにすることが決定された。さらに、この情報を利用するための料金システムを開発することが合意され、この時点では将来的に三国間で交換される約30のデータベースが含まれると予想された。この点において、日本とヨーロッパの特許出願の英文抄録に特別な関心が向けられた。
特許出願の自動処理のための規格に関する三極プロジェクトを視野に入れ、異なる媒体での特許公開のための規格の問題が再び議論された。これに関連してUSPTOとEPOの両特許庁は、JPOが採用していたオンライン出願の規格と互換性を持たせることを目標に、両特許庁の出願規格を検討することに合意した。
この1年間はプロジェクト13「機械翻訳」だけでなく、プロジェクト14の中の新しいサブプロジェクトについても作業が継続され、14.3「非特許文献の収集」、14.4「同義語データベースEPOS」、14.5「Fターム」などの新しいサブプロジェクトが開始された。
当時、JPOはコンピュータ化、自動化、デジタル化、オンライン出願に関し、すでに各国の特許庁の中で主導的な役割を担っていた。また、EPOとUSPTOはJPOのもう一つの重要なプロジェクトに深い関心を寄せていた。JPOは、新しい分類システムであるFタームを開発したのである。EPOとUSPTOはFタームの潜在的な利用可能性と、この分類方法が両特許庁の審査プロセスの効率化をどのように、どの程度支援できるのかというトピックスに高い関心を寄せていた。そしてこのテーマは、サブプロジェクト14.5で扱われることになった。
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