これまでにも、自動化が進む新しい世界での急速な技術開発と変化の中での、JapaticとINPADOCの経験を語ってきた。同様に、IIB(国際特許協会)や後にEPOも、おそらく規模は異なるものの、新しい自動化ツールに関して同様の経験をした。このような背景から、以下の章では、1970年代から1980年代にかけてのEPOにおける自動化と、その結果としての公開プロセスの発展の内部の視点に基づいて、また一方では、技術と自動化の進歩の間の相互作用と影響を、他方では公開プロセスの発展、特許情報に対するアプローチ、さらには三国間協力レベルでのいくつかの発展を示す。

EPOの設立後わずか7年目の1984年には、すでにEPOへの特許出願数が着実に増加していたため、特許付与プロセス全体に遅れが生じ、特にEPOの先行技術調査の分野での未処理業務が増加していた。この段階では、欧州特許制度がユーザーに急速に受け入れられ急成長を遂げたことで、圧倒的な成功に伴う予期せぬ望ましくない副作用として認識されていた。ツールやプロセスの効率化、最新の情報処理やツールへの適応が緊急の課題となっていた。特に、特許出願処理の自動化と特許文献全般の近代化は、急増する業務量に積極的に対応するための緊急課題となった。 そして最後に、この80年代の終わりに特許情報の分野に近代的なツールが導入されたことで、ユーザー側と特許庁側の両方で、労力とコストの節約が可能になった。

すでに1970年代初頭の欧州特許庁設立のための暫定委員会の議論の中で、電子データ処理ツールの使用とオフィスオートメーションの深化という問題が、コンピューター化のテーマを扱う小委員会で提起されていた。この議論の時点で、IIBは給与や一般事務の分野で、コンピューターによる管理の経験をすでに積んでいた。すでに1960年代には、IIBはパンチカード機器をはじめとする独自のデータ処理ツールを作り始めていた。次のステップでは、すべてのデータがコンピューターに転送され、1970年にはIIBの最初のEDPサービスが機能するようになったが、この時はIIBの敷地外であるスヘフェニンゲンのホテルに設置されていた。1972年、EDP部門はレイスウェイクにあるIIBの主要な施設に移った。それ以降、年々大型化していくコンピューター、増加するビデオ端末、拡大するコンピューターサービスの範囲など、自動化活動はさらに本格化していった。この経験を生かして、そして知識と既存の技術インフラに基づいた特許管理などのアプリケーションを開発することは、当然の結論であった。この試みの結果が、設立間もないEPOの実際の日常業務で使われるようになるまでにはまだ数年を要するが、この経験は、後に開発されるコンピューター化及び自動化プロジェクトの核となった。

1978年、新たに設立されたEPOは、旧IIBの既存のコンピューターを活用した。このコンピューターシステムの既存のタスク、すなわち文書化と先行技術調査管理に関する機能に基づいて、EPOの初年度には欧州特許出願の管理タスクが追加された。EPASYS(European Patent Administration System)というコードネームで呼ばれるこの新システムの分析とプログラミングは、1976年に特許庁設立のための暫定委員会の準備作業の中ですでに始まっていた。スムーズな出願手続きのための前提条件として、1978年7月には、欧州特許出願の手続きに関してこのシステムの最初の部分が機能するようになり、主に手数料の支払いや書類の提出期限の自動監視が行われた。1978年10月には、特許出願、アブストラクト、及び、特許公報の印刷に用いられる書誌データを含む磁気テープを作成する機能が稼働していた。唯一の大型メインフレームコンピューターシステムはハーグのレイスウェイクにあったが、1978年にはさらに、帳簿管理と手数料の支払いを管理するための専門の小型コンピューターシステムがミュンヘンで稼働した。1979年には、EPASYSに実体審査を管理するためのモジュールが導入され、異議申立てや控訴を管理できるようにシステムの機能を強化するための準備が行われた。

パテントファミリー検索には、EPOの初期からIIBの文献コレクションがコンピューター化されており、ハーグのサーチ審査官が利用していたが、その後ベルリンでも利用できるようになった。 1979年には、すでに16万件以上のパテントファミリー検索が、コンピューター上のデータベースで行われていた。 さらに、1979年には、逆分類ファイル(the inverted classification file)や、後には審査官が内部分類にオンラインで直接アクセスできるようになるなど、さらなるオンラインツールが利用できるようになった。また、1980年の当初から、ハーグの審査官は、欧州宇宙機関の情報検索システムや、後にはInformation System Karlsruhe(INKA)、フランスのTélésystèmesなど、外部のデータホストにアクセスしていた。

目次

前章 43章:INPADOCとJapatic – 遺産

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