広報管理が欧州特許制度成功の重要な要因だった。新しい欧州特許制度の認識を高めて新制度を成功に導くためには、多大な努力を要することは最初から明らかだった。このことを念頭に置いて、欧州特許庁は欧州だけでなく、日本や米国での会議、セミナーやフェアなどのさまざまな機会において宣伝活動を開始した。そしてこれら努力のおかげで最初のうちから素晴らしい成果を収めた。

初年度は、欧州特許庁での特許出願の3分の2は加盟国からで、それに続き4分の1は米国からだった。一年目の日本の割合は出願総数のわずか3%ほどだったが、欧州特許制度が比較的早く日本の出願人にも受け入れられたことをその後の数年間の統計が示していた。欧州と米国からの出願に次いで、日本の出願人はかなり早い段階で欧州特許の国際ランキング3位に躍り出た。

同年、欧州特許庁とWIPOの国際事務局との協定に基づいて、欧州特許庁はPCTの枠組みの中で、国際調査機関 (ISA) および国際予備審査機関 (IPEA) となった。欧州特許庁を管理する管理理事会により採用された技術支援に関する決議に従って、欧州特許庁は運用開始一年目の活動で、発展途上国に対して資料、先行技術調査および実務トレーニングの支援をすでに開始した。これは、国際環境における新機関の位置を支援、強化するためのさらなるステップとなった。

特許付与手続の最初の段階もまた十分に機能を果たした。欧州特許庁は、 旧 IIB(国際特許協会)であるハーグ支部で、遅滞なく先行技術調査を開始することができた。1977年11月に欧州特許庁が設立されたが、そのわずか7か月後の1978 年6月1日から、正式に欧州特許出願の受理および処理を開始した。さらに約6か月後の1978年末までに、総計でほぼ 4,000件の出願(約 3,600件の欧州特許出願および欧州特許庁指定の約400件の PCT 出願)が欧州特許庁に提出された(欧州特許庁の開設準備に関する暫定委員会は、最初の7か月で4,041件の出願が提出されるだろうとあらかじめ見積もっていた)。提出された最初の112 件の出願は、1978年12月20日に欧州特許庁により公開された。欧州特許庁運用開始後の数か月は、創設加盟国の7か国とスウェーデンだけが指定国になることができた。スウェーデンとイタリアは1978年に欧州特許条約を批准し、同年末までに合計9か国(創設加盟国7か国と加盟決定国2か国)を欧州特許出願の加盟国として指定することができた。

1978年末までに、欧州特許庁は合計で約40,000件の先行技術調査を実施し、そのうちの約1,600件は欧州特許制度内のもので、約39,000件は旧 IIBの業務継続の枠組み内のものだった。この枠組み内では、フランスの国内特許出願の先行技術調査(約27,000件)が実施され、続いてオランダ、スイス、トルコ、ドイツの調査が実施された。他の活動としては、旧 IIB 契約に従った第三者調査が含まれる。ベルリン支部は約2,400件の調査でこれに貢献した。ハーグ支部とベルリン支部で調査に使用された資料、すなわち特許出願、明細書および技術定期刊行物は、1978年末時点で約1,400万件から構成された。

欧州特許庁運用開始一年目の欧州特許出願の言語は、英語が45%、続いてドイツ語が43%、残りがフランス語で提出された。当初の予測では、もっと多くの出願が英語で提出されると思われた。そして、その後の数年間においてその予測が正しいことが証明された。

提出された出願の技術分野の割合に関しては、後に変化するものの、欧州特許庁運用開始当初は、約50% が化学分野、約30% が機械分野、そして 約20% が物理と電子工学分野だった。また、運用当初の欧州特許庁は、国際特許分類 (IPC)の特定の分野でのみ実体審査可能であったところ(詳しくは18章を参照)、実体審査可能な技術分野が増加するにつれて、出願の技術分野もある程度影響を受けた。

1978年には欧州特許出願の約52% がミュンヘンの本部に直接提出され、約3分の1は各国特許庁に提出されてからハーグ支部の受理課に送付された。ドイツ、英国、フランス、オランダを中心に、平均して加盟国中の5、6か国が指定加盟国として特許保護を指定された。それにより、少なくとも3か国以上の特許保護を得る場合に、欧州特許制度は国内ルートと比べて安価であることがわかった。

1978年末までには、職員の総数は 941名で、そのうちの714名がハーグ、132名がミュンヘン、95名がベルリンに在籍していた。

運用開始の一年目は、欧州特許庁は一連の目標を何とか達成しなければならなかったが、全体として見ると、広範囲な成果を期待通りにもたらした。職員の期待や努力と共に、出願総数は目標に達し、特許付与手続を支援する自動化の技術的な準備は軌道に乗った。

欧州特許制度に関する長年の展望は実現され、運用一年目の年度末の成果はさらなる前向きな動きを約束するものだった。

目次

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