1965年12月にジュネーブで開催された、諮問グループの2回目の会議では、 “World Patent Index”(世界の特許インデックス)という名称で暫定的に取組んでいたサービスの実現可能性に関するBIRPIの調査結果が検討、承認された。ここで初めて登場する”World Patent Index”とは、1970年代にDerwentが開発した“World Patent Index” と呼ばれるデータベースとは異なるものである。また、将来的にサービスを推進するにあたり、BIRPIとIIBは共に情報パンフレットを制作することとなった。それはPCT、分類や調和の問題など、1960年代の産業財産権に関する多くのプロジェクトや、後にINPADOCが提供するサービスの準備作業への、(時には目に見え、又は見えない場合もあるが)IIBによる継続的な関与の一例であった。
この1965年12月の諮問グループの会議は、“World Patent Index”サービスの確立を決定的とし、システム要件とサービスを実現するための追加措置を詳細に特定した。
その会議には、オーストリア、フランス、ドイツ、ハンガリー、オランダ、ポーランド、スウェーデン、スイス、英国、アメリカ合衆国が参加し(カナダ、日本、ソビエト連邦は招待されたが不参加であった)、IIBとICIREPATはオブザーバーとして参加した。参加国の大半は、世界中の特許文献の代表的なコレクションをすでに保有しており、大量の情報を管理する上での問題が増加していることを認識していたため、計画中のサービスの開発に高い関心を示した。したがって、会議で作成されたサービス要件には、必要なものに関する実質的なアイデアと定義の包括的なリストが網羅されていた。それは最終的に、このサービス提供の当事者に送付される要件一覧の基礎となった。
そのサービスを提供する機関を設立するための前提条件として、諮問グループとBIRPIは、詳細な計画に先行して、計画されたサービスが各国の産業財産庁や他の想定ユーザーにどの程度使用されるかを調査することに合意した。この調査は、各国特許庁の支持を得たBIRPIとIIBにより実施された。その結果、サービスを確立するための追加措置は、調査によりこのプロジェクトに対する関心が十分に示され、長期的にはサービスの自立的経済状況の構築に貢献するような条件下でのみ実施されるべきである、との結論に達した。
“World Patent Index”サービスの必要性が高まっている背景には、次のような基本前提があった。1967年から1976年の間に、年間約65万件の特許出願が約80の各国特許庁に提出されると予想された。また、約10万件の異なる発明に関して毎年約32万件の特許が発行されると予想された。つまり、このサービスは10年間で約320万件の特許と推定150万人の発明者名を持つ100万件の異なる発明を処理する必要があった。また各特許文献を、サブグループを含め約4万の国際特許分類の一又は複数のクラスに分類する必要もあった。
そのため、コンピューター化されたデータ管理下でのみ、経済的に大量データを保存および検索が可能、という結論に至った。これにより、INPADOCが最終的に提供するサービスの要件と前提条件、すなわちコンピューターシステムの使用は、既に1965年に明確になっていた。
さらに、サービスを提供する将来の機関においては、以下の項目が可能であるべきだと述べられていた。
 パリ条約に基づいて主張される、同一優先権に基づく全ての特許文献を特定する
 特許の法的地位の変更に関する情報を提供する(この種類のサービスは、INPADOCが最終的に1970年代後半に開発した)
 出願人、特許権者、発明者の氏名に従い、全ての特許を特定する
 特定の技術分野に関連する全ての特許のリストを提出する(クラス分類された文献リスト等)
実際、この要件リストには、後にINPADOCが提供するサービスの基礎としての重要な要素が含まれていた。つまり、1960年代半ばには最終要件の殆どが定義されていたのだが、実現するには様々な技術的、財政的、政治的な障害を対処し、克服しなければならず、その過程にはさらに時間が必要だった。
 
次回は以下のトピック…
1960年代後半のINPADOCへの道
INPADOCへの道 – 1970年代初期の新たな勢い
INPADOC設立の実現

 

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