INPADOCのサービスは1980年に大きく前進した。INPADOCはウィーンに独自のコンピュータセンターを開設し、内外の顧客向けオンラインサービスを拡大した。さらに、データベース提供者のLockheed社(後にDialog servicesに名称変更)との間で、INPADOCデータのホスティング契約を締結した。またCAPRIプロジェクトは、1978年にIIBが欧州特許庁に統合されたため、INPADOCと欧州特許庁との協力により実施された。

1980年以降、INPADOCのデータは日本のJapaticにより、PATOLISオンラインサービス内で導入された。Japatic が導入したINPADOCパテントファミリーサービスはPATOLIS-Iという名称だった。このアプローチにより、INPADOCのデータをより広範囲で利用することが可能となり、さらに一歩進んだものとなった。


新しい特許登録サービス(PRS)で収集されたリーガルステータス情報は、各国特許庁が個々のリーガルステータスの段階を記載するためによく使用するようなコードに基づいて、データベースに格納されていた。これは必ずしも明確に理解できるとは限らなかったため、1981年には膨大な文献のPRSコードが初期化された。この活動は、産業界の顧客によって大きく支援されていた。というのも、コードの詳細や法的な意味は顧客によって記載され、編集作業はユーザーが行ったからである。このプロジェクトの枠組みの中で長年にわたって編集された文献は、40年以上経った今でも、欧州特許庁が現在提供しているリーガルステータスサービスで使用されているコードの多くについての重要な情報を表している。

1983年までに、INPADOCのデータベースは、1000万件以上の特許文献の書誌レコード、1300万件以上のCAPRIデータベースのレコード、1000万件以上のPRSファイルのレコードを収録していた。同年、日本国特許庁との間でCAPRIシステムに関する協力協定が締結された。これらの数字を見ると、1965年の公開文献の推定件数(この時点では約65万件の公開が推定された)が、少なかったことがわかる。

1984年にINPADOCは欧州におけるJapatic のPATOLISデータベースを扱う代表機関となった。そこでINPADOCでは、欧州言語のソフトウェアを用いて日本語のPATOLISデータベースにアクセスするためのソフトウェアの開発に着手した。

1985年、INPADOCは中国特許庁と、中国特許公報の英語抄録データベースを中国国外に提供する契約を締結した。

1986年のパテントファミリーデータベースの対象国は55カ国、PRSデータベースの対象国は10カ国であった。欧州の標準的な機器を利用して、日本語漢字情報データベース(PATOLISデータベースに収録されている)にアクセスするためのソフトウェアは、日本語がわからなくても欧州からPATOLISのリーガルステータス情報にアクセスできる一種の翻訳機能を搭載し、これにより完全に機能するようになった。このソフトウェアは、INPADOC漢字端末エミュレータという名前で知られており、21世紀初頭まで欧州の顧客に利用されていた。

1987年には、INPADOCのデータベースは世界の6つのホストで利用可能になった。また、INPADOCは主にJapaticの後継機関であるJapioと協力して、新しい光学式メディアの活用についての検討を開始した。これと並行して、欧州特許庁も光学式メディアの可能性を分析していた。

INPADOCユーザーミーティングも成功を収めた。1978年には26名だった参加者が、10年後にはウィーンでの会議に150名以上が参加した。

19年間の活動の中で、INPADOCは世界の特許文献の状況に永続的な影響を与えた。INPADOCは開発した特許情報サービスに加えて、その専門知識と定期的なユーザーとのコンタクトにより、標準化と調和のための世界的な取組にも大きく貢献した。一連の先駆的な開発はその後のサービスの基礎を構築し、その主要なアイデアの一部は、近年になっても別の傘下において、より広い範囲で継続されている。

1980年代後半には、INPADOCのサービスと利用可能性がさらに改善されていたが、それと並行して1980年代前半には、欧州特許庁が特許情報の分野でより積極的に活動し(1988年に採択された特許情報政策に基づいて)、一方でINPADOCが特許情報サービス提供者となるという、将来のコンステレーションが検討され始めた。また、業務の重複や不必要な競争を回避するためにはどうすべきか、ということも議論され始めた。そして、不必要な競争や努力を避ける方法のひとつとして挙げられたことは、INPADOCをEPOに統合することだった。

目次

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