データやデータセットの公開に関するEPO内部の検討の中で、1982年にINPADOCはWIPOと協力し、オーストリア共和国とWIPOの契約状況を考慮して、このシナリオの将来的な可能性についていくつかの提案を行った。しかし、当時の欧州特許機構では、将来の情報政策に関する明確な立場がまだ定義されておらず、INPADOCの提案はEPO側で具体化するための十分な支持を得ることができなかった。 一方、EPO内部ではデータの公開について、2つの代替案が議論されていた。

その提案とは、いわゆるNATIOPATIC案とEUROPATIC案だった。NATIOPATIC案によれば、すべての締約国とその国が指定するすべてのホスト(INPADOCを含む)はEPOから直接EPOのデータベースを提供されることになる。つまり、このシナリオでは、EPOはデータベースの作成者および提供者として直接関わりを持ち、データベースの受信者に対する一連の支援活動に関しても何らかの責任を負うことになる。この案に代わるものとしてEUROPATIC案があり、これはINPADOCにデータの配布における一種の特別な地位を与えるというものであった。どちらの案も1982年にEPO内部で広く議論されていたが、このテーマに関して最終的な決定には至らなかった。交渉の過程で、いくつかの締約国の代表団からEUROPATIC案に対する懸念が示された。彼らは、INPADOCに一種の独占権を与えるコンステレーションに難色を示していた。このような独占により、INPADOCは、特に世界的なパテントファミリーシステムを開発する役割を担っていることから、EPOデータベースを競合する価格戦略で提供し、また各国のホストがデータを一般に提供できる価格よりも低い価格水準で提供できる可能性があった。1982年、欧州特許機構の内部議論では、未解決の問題について最終的な結論は得られなかった。

1983年、将来の情報普及に関する欧州特許庁と管理理事会の間の議論が続けられた。その際にも、EPOと各国特許庁とのパートナーシップの重要な特徴は、明確な役割分担であることが確認された。そしてEPOは今回、技術情報を発信する役割は専ら各国特許庁が担うことを改めて確認した。EPOの設立以来、EPOと各国特許庁との間の役割分担の問題は、様々なレベル、様々なテーマにおいて、ある程度センシティブな問題であったため、常に慎重に触れられていた。そして、この試みはEPOと締約国の間の良好な協力関係を維持するための必須の条件だった。1983年には、どのようなデータを公開すべきか、公開にはどのような条件を適用すべきか、最終的にはどのようなルートでデータを配布し、アクセスできるようにするべきかを合意することにより、将来の政策に関する議論の突破口が開かれた。

1983年6月の管理理事会では、EPOの3つのオンラインシステム、すなわちファミリー(FAMI)、インベントリ(INVE)、分類システム(ECLA)をオンラインで公開することが決定され、重要な一歩を踏み出した。また、長い議論の末、内部的には2つの提案のうちどちらを採用すべきかについても決定し、最終的にはINPADOCは、各国特許庁や様々なホスト事業者に上記のデータベースを配布する責任を負うべきとした。これに伴い締約国は、データを直接利用・提供する方法を取るか、もしくは、自国のどの機関がホストとして機能するかを決定した上で、第三者によるホストソリューションの方法を取るかを決定しなければならなかった。

1983年後半、EPOとINPADOCとの間で一連の契約交渉が行われ、最終的に12月の管理理事会において、EUROPATIC案を実施するためのINPADOCとの協力契約を締結する権限がEPOに与えられた。この契約書には、EPO自身がFAMI、INVE、ECLAの3つのデータベースを商業的に利用しないことが明記されていた。その代わり、これらのデータベースの商業的流通はINPADOCに集中させるべきだが、INPADOC自身がこれらのデータベースのホストとして機能することは許されないという制限がついていた。INPADOCは、データ修正のためにデータベースにアクセスすることを許可されており、各国の特許庁や指定されたホストに対してデータベースのカスタマーサポートを提供することもできた。もちろん、データ整備は最優先事項であったため、INPADOCはEPOから受け取ったデータキャリアのコピーを各国特許庁または各国特許庁が指定したホストに遅滞なく転送し、各国特許庁がデータに問題なくアクセスできるようにすることが義務付けられた。

1983年12月の同じ会議で、管理理事会は、EUROPATICコンセプトの実施に関連する2つの文書を採択した。1つは、各国のホストオペレーターが満たすべき一般的な条件を定義した文書、もう1つは、EUROPATICコンセプトに関するEPO、各国特許庁、INPADOC間の役割分担を定義した、EPOと締約国の各国特許庁との間の見本の協定案であった。

これにより、EUROPATIC案の実施に向けた道が開かれ、公開情報普及政策の自由化に向けた第一歩が踏み出された。

目次

前章 47章:1980年代のEPOデータベースの一般公開に関する考察

次章 49章: 情報普及に関するEUROPATIC解決策