8.欧州特許制度およびその背景、歴史的発展と現状 8. ヨーロッパ特許制度とヨーロッパ特許庁について

1973年のミュンヘン外交会議では、欧州特許庁の将来の設立のための予備作業等に関し、さらなる4つの文書が欧州特許条約の調印国によって採択された。全ての締約国にとっての今後数年間の義務と役割、および調印国間そして欧州の地理的境界を越えた戦略的目標がこれら文書に規定されている。

集中化に関する議定書の IV条1項に関する宣言
この宣言は、締約国および産業財産権庁が欧州特許条約に従って法と手続に沿って集中化議定書に準拠した業務を行う意思を再確認するものである。国内官庁の審査官が下した決定はEPOの審査官が下した決定と同様に扱われると述べている。この宣言はまた、欧州特許制度の導入により国内官庁の人材不足を引き起こすかもしれず、両当事者はそのような問題を最小限にするために責任の範囲内において努力するものとすると述べている。

欧州特許庁の開設準備に関する決定
これとともに、ミュンヘン外交会議では、会議の終了後すぐに欧州特許条約に署名した全ての加盟国の代表者を含む暫定委員会を設立する決定がなされた。欧州特許庁を管理する管理理事会が最初の公式会議を開き次第、暫定委員会は業務を終了すべきであるとされた。暫定委員会の主要目的は、欧州特許庁ができるだけ早く活動を開始できるように、全ての必要な準備段階を引き受けることであった。この目的のために、委員会はドイツとオランダ政府と仮契約を締結し、また集中化に関する議定書の特別協定を準備する権限を与えられた。実務と効率性のため、準備作業を引き受ける執行委員会と一連の作業部会が妥当な時期に設置された。

欧州特許庁の職員訓練に関する決定
ミュンヘン外交会議の参加者は、EPOの将来的な成功が、今後の活動のための職員準備の水準と適用規則に大きく左右されることをはっきりと理解していた。他のトピックの間で、政府間会合により設置された職員訓練に関する作業部会は特にこの点で注目を集めた。 要員を期間内に準備するために、暫定委員会は欧州特許出願を審査するためのガイドラインを定め、集中化訓練と国家訓練の調整のための計画と詳細なプログラムを確立し、訓練活動を調整する業務を委任された。また、欧州特許条約の調印国の役割と参加はこの文書に規定されており、間接的に国家レベルでそれら国々に職員訓練の業務を任せてEPOでの職を希望する今後の応募者を教育することを目的としている。そして最終的に、国際特許協会(IIB)の加盟国は、国際特許協会(IIB)のEPOへの将来的な統合に備えて、同様の訓練活動がその活動内で行われることを保証するよう求められた。

技術援助に関する決議
最後に、ミュンヘン外交会議は、産業財産権の効力を有する地域における先進国と発展途上国間のギャップを考慮して、また今後拡大する欧州特許庁の国際的役割を予測して、特別業務を欧州特許機構(European Patent Organization)に課した。調印国は 他の政府間組織による努力に関連して、地理的な立地にも関わらず、特許法の分野において発展途上の国々を可能な限り支援するよう組織に要請した。これは、少なくともこの地域において組織は、欧州組織の地理的制限の境界を越えて活動を開始すべきだという締約国の希望を明確に表している。この業務はまた、組織の自己理解のため、および“通常の”特許庁の基本任務を超えた一連の今後の活動のための重要な基礎として解釈できる。調印国からの要求において、この組織と他の政府間組織を比較すると、政府間の国際的に活動する組織としての役割は少なくとも間接的に欧州特許機構(European Patent Organization)に割り当てられる。

 

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次章 12章:欧州特許庁の開設準備に関する暫定委員会

前章 10章:欧州特許条約-関連議定書


…政府間の国際的に活動する組織としての役割は、少なくとも間接的に欧州特許機構に割り当てられる。



1973年のミュンヘン外交会議では、欧州特許条約や欧州特許庁の開設準備に関する決定等の国際協定が調印された(詳細は10章11章などを参照。)。この国際協定は、欧州特許機構(European Patent Organization)の正式な設立に向けた次の段階の準備作業や前提条件のための 基本原則を定めた。特許付与機関としての欧州特許庁(European Patent Office)の運用をできるだけ早く開始させるために一連の活動が詳細に定義された。

前述の国際協定の議論では、欧州特許庁の開設準備に関する暫定委員会の設立が決定された。この暫定委員会は、1974年1月中旬に最初の会議を開催し、Kurt Haertel 氏が暫定委員会の議長に任命された。前述のミュンヘン外交会議では、妥当な時期に機構創設のための必要な準備と着手が暫定委員会に委任された。この暫定委員会は、欧州特許庁の立地に関する実務上の条件、人的配置、職員の養成、技術的環境、政治的側面、労働環境などの詳細について、将来の欧州特許庁における 全てのトピックに関係した。この暫定委員会自体の責任は、ミュンヘン外交会議中に合意した様々なトピックに関する詳細な提案を準備することであり、これらのトピックに関する決定権を与えられたわけではなかった。これらのトピックに関する提案は、欧州特許機構の管理理事会が最終的に決定するための基本的な提言だった。

1973年のミュンヘン外交会議では、暫定委員会は多数のトピック関連の作業部会から構成されるべきだと決定された。各作業部会は、調印加盟国の代表から構成され、作業効率とリソースを踏まえれば、各作業部会において、最大6つの加盟国からの代表が代理を務めるべきとされた。将来の開催国(ドイツとオランダ)の代表は、さらに全作業部会の会議に参加することができた。

暫定委員会の最初の会議が、ドイツからの招待によりミュンヘンで開催された。1974年1月のこの会議では、7つの作業部会が設置され、組織、先行技術調査、審査(異議申立ておよび審判のトピックを含む)、職員、 財務、法的事項、そして建物、欧州の学校、住宅を含んだトピックを扱った。

最大限の法的確実性を持つ高品質の産業財産権を提供するために、欧州特許庁に必要なリソースを与えることを踏まえれば、欧州特許庁における将来の手続きプロセスのために、詳細な計画を立てなければならなかった。手続き的観点から、また主に先行技術調査および審査に関して当初から高品質とすることは、欧州特許制度の成功のための重要な要素であった。欧州特許庁は、IIB(国際特許協会)のハーグ支局における既存の組織的・技術的インフラを将来の活動の一部に利用することができたものの、その他の事項については、全ての組織、プロセス、タスク、ツールに関してこの段階で最初から定義されなければならなかった。

暫定委員会は、契約を締結する権限を与えられていなかったものの、暫定委員会の会議の開催国(当初はドイツとオランダ)に関する組織の将来の所在地や法的枠組みに関連した将来の政治的な決断や取り決めのための草案準備においてセンシティブな役割を担っていた。

1973年のミュンヘン外交会議の期間中に、暫定委員会の業務と作業部会への割り当てについての草案リストが追加された。このリストは、基本的な作業計画のみならず、その後の数年間に実施されなければならない作業の戦略的、財務的、そして政治的側面に対する視点も含んだ一連の業務からなり、暫定委員会が今後何年かに終了しなければならない大規模なプログラムの基礎として定義された。

 

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次章 13章:欧州特許庁の開設準備に関する暫定委員会-トピックと業績

前章 11章:欧州特許条約ー宣言書及び決定書

1973年のミュンヘン外交会議での合意に従った欧州特許条約 (EPC) は、欧州特許機構およびその機関、すなわち管理理事会および欧州特許庁設立の法的根拠である。欧州特許機構は欧州特許付与業務の経営的かつ経済的自治権が与えられており、独立機関として、欧州連合(協定時はEEC)の外部でこの業務を行う。管理理事会は欧州特許庁の監督機関であり、欧州特許庁による欧州特許付与業務を承認している。欧州特許庁の中枢はミュンヘンに、そして支部はハーグにある。1973年の欧州特許条約は、将来のニーズに応じた支所の設立も考慮されている。(なお、支所の設立は管理理事会の承認が必要である。)

欧州特許条約は、発明の保護に関して欧州の締約国間の協調を強化し、欧州における特許付与の単一の手続きを提供するために、締約国に共通の特許付与の法制度を確立するための政府間協定である。欧州特許は、加盟国内では、その加盟国が付与した国内特許と同じ効果を有する。
欧州特許条約は、1883年締結のパリ条約19条の趣旨の範囲内における特別協定を構成する。そして、欧州特許条約は、1970年締結の特許協力条約45条の趣旨の範囲内における広域特許条約である。

合計178 の条文と106 の規則を含む1973年の欧州特許条約は、欧州特許の付与に必要な実体法および手続法の全ての要件を含む。欧州特許の有効期間は一様に20年間と決められている。新たに規定された手続きでは、特許付与は3名の審査官のグループにより最終的に決定される。これは、1名のみの審査官により決定される以前のやり方に相反している。この決定はまた、欧州特許庁がその結果として全体の特許付与プロセスに従うことを目的とする品質基準の証拠として理解される。異議申立ておよび審判の手続きもまた標準化される。手続き言語は英語、フランス語、ドイツ語に定められ、一方で、想定された期限内に3公用語のうちの1言語への翻訳が提出される条件で、自国語による出願も可能である。限定された10年の移行期間に、締約国は、特に、条約に規定された特許権存続期間(出願から20年)に関して保留を宣言することができた。当時は、数か国において登録権存続期間がこの20年の期間から逸脱しており、この適用除外期間に、締約国はそれに応じて少しずつ国内法を調整するべきであった。

特許権登録後の特許明細書は出願と同じ言語で公開され、登録されたクレームは他の2公用語でも公開される。加盟国は、自国での権利の有効性確認のために、自国語の明細書の翻訳を要求することができる。

さらに、欧州特許条約は、1970年締結の特許協力条約の出願に関する広域の規定も包含する。この特許協力条約のもとで、欧州特許庁は、PCTに従って提出された国際出願の受理官庁および指定官庁となりうる。また、国際調査機関および国際予備審査機関としての役割も果たす。

1つの出願とそれに伴う標準化された手続きにより、欧州特許制度は、出願人が指定した締約国内で有効な欧州特許の束を確保する機会を提供する。産業財産権に関する既存の国内法とともに、国内レベルの出願により国内のアプローチを可能にし、しかしまた、欧州特許庁に出願することにより、国家主権を除外することなく超国家的レベルも支援する。このアプローチにより、出願人は、特許付与後に指定した全ての国において国内段階に移行する方法か、欧州ルートに従わずに複数の国内特許庁に出願する方法か選択する機会を維持する。いずれにせよ、特許権の利用は各国機関に残ったままとなった。両方のルートの共存もまた欧州特許制度の成功の要因だったかもしれない。

戦略的あるいは政治的観点から、欧州特許制度のコンセプトは、20世紀後半において高まる国際経済競争の課題に対する欧州の反応と見なすことができる。(欧州共同体での統一特許に関しては、尚更、そのように見なすことができる。)

 

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次章 15章:国際特許協会-IIB

前章 13章:欧州特許庁の開設準備に関する暫定委員会-トピックと業績

 

 

欧州特許庁の開設準備に関する暫定委員会では、膨大なトピックを明らかにしつつ、その分析や掘り下げを行った。これらの作業は、ドイツからの基礎的な提案から始まったものであり、欧州特許庁の管理理事会による決定とその履行に向け、数年かけて行われた。

この暫定委員会では、欧州特許庁の組織を提案することとなっていた。その提案では、最終的に、欧州特許庁の5つの総局の構造および役割が記載された。(このトピックに関する初期の議論では3つの総局のみ提案された。)法律問題および国際関係を扱う5番目の総局の着想はミュンヘン外交会議の期間中に提起され、最終決定のため管理理事会で提言された。

欧州特許庁では、異なる場所(ミュンヘン、ハーグ)で、異なる部門(総局1および2)により、異なる手続き側面(先行技術調査、審査)により業務が実施されることになっていた。これを踏まえ、先行技術調査、審査そして異議申立ての業務手順には、特別かつ細心の注意が払われた。欧州出願の先行技術調査はPCT国際調査と同様であり、あらゆる先行技術調査の実務には、明確な合理化が必要だった。これは、将来、IIB(国際特許協会)の職員のみならず、外部で採用される審査官も、欧州特許制度の品質のために同一かつ明確な規則に従わなければならないという期待の下で特に重要だった。

この状況において、特に重要な要素は、将来必要な人材に関係する今後数年間の財政計画の策定だった。発足当初の欧州特許庁は、選ばれた技術分野のみ審査可能という事実を考慮することも重要だった(発足当初の欧州特許庁の審査可能な技術分野は51% のみ)。そのため、欧州特許庁が審査できる技術分野が少しずつ増えるように計画を策定する必要があった。また、欧州特許庁の持続可能な発展のための料金体系も規定されなければならなかった。

暫定委員会の業務の課題のひとつは、予期される欧州特許制度の承認を考慮して、追加職員の将来の必要性を見積もることだった。今後、欧州特許制度がどの程度までユーザーに受け入れられ、どれくらいの出願件数になるかを見積もった。1960年代の見積りでは、1970年代に出願される特許出願は3万件レベルとしていた。職員の十分な数と質の課題も、欧州特許庁が十分に機能するためにも重要だとみなされた。(特に、手続き面のガイドラインに従いつつ、3か国語で勤務でき、かつ、持続的に訓練された審査官の確保が課題とされた。)さらに加盟国の職員の割合も考慮する必要があった。
 
IIB(国際特許協会)と欧州特許庁の統合計画には明確な規則も必要であり、例えば、給料の問題のみならず社会保障の問題も存在した。これらの問題に対して、従来からのIIB職員と同様に、これから採用される職員も一つの枠組みで議論する必要があった。服務規定のモデルは、国内組織と国際組織との間の考えられる違いを念頭に置く必要があった。

さらに、欧州特許庁の建物やその代表的かつ象徴的な機能の問題も解決する必要があった。組織の中枢であるミュンヘンには代表的な建物やその立地場所が必要だった。ドイツ特許庁とドイツ博物館の近くの最終的な提案場所は、政治的および実用的観点からも要件の大部分を満たしているように思われた。地元住民の意見のなかにはミュンヘンのこの場所に対する反対もあったが、最終的にはそこに将来の欧州特許庁の建物を建設する案が採用された。

また、将来の 欧州特許庁のエンブレムの問題も解決する必要があった。最終的には、暫定委員会の最後のセッション中に、実際のエンブレム、すなわち、個性の象徴としての指紋を図案化したものが管理理事会に提出された。(この問題は、エンブレムに特化したワークショップで掘り下げられた。)

1977年9月に、暫定委員会は、管理理事会の決定を待つ 29の包括的文書を準備して最終会合を開いた。ミュンヘン、ブリュッセル、ルクセンブルグでの10回の総会を含む合計450回にもおよぶ会議の日々の約4年間を経て、暫定委員会は1977年10月に開催される最初の管理理事会に備えた。

 

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次章 14章:欧州特許条約-内容と影響

前章 12章: 欧州特許庁の開設準備に関する暫定委員会 (1974-1977年)

1960年代後半に欧州特許制度の創設が議論されている間、商業競争が激化する世界において、先行技術調査と審査を正確かつ包括的に行い、高品質な先行技術調査結果を提供する能力の問題が、新しい欧州特許庁の成功の鍵となる要因であることは常に明らかだった。最初から、適切にその任務を果たすためには、欧州特許庁は包括的な文書と十分な先行技術調査力を利用できる必要があったのは明らかだった。この段階の様々な機会ですでに、IIB(国際特許協会)は、先行技術調査業務を実施する将来の特許庁として貢献する可能性のある組織として挙げられていた。

世界的に増加する特許文献、各国特許庁における限られた資源のもと、IIBは1947年に設立されたが、先行技術調査や審査、相当数の特許庁の特許や実用新案(詳細な先行技術調査や審査をしない登録制度)の付与業務を行うことができた。当初の創立の目的は、欧州産業の利益のため、そしてさらなる経済発展とニーズに備えた中央審査機関を作るために、優れた特許情報検索サービスを提供することだった。

ベルギー、フランス、ルクセンブルグそしてオランダ間の外交協定は、1947年6月6日にハーグで調印された。この外交協定に基づき、加盟国に提出された特許出願の新規性および進歩性に関する先行技術調査を行うためにIIBが設立された。これは、先行技術調査活動に関する各国特許庁の初期段階における協調の一つだった。のちに、モナコ、モロッコ、スイスおよびトルコが協定に参加し、最終的に1965年に英国がこれに続いた(しかしながら、英国は正式な先行技術調査として利用したことがない)。実際には、IIBは、創設加盟国による批准後の1949年に先行技術調査サービスを開始した。

オランダ特許庁特許審議会と緊密に協力しつつ、IIBは、数十年にわたって、膨大な特許文献が分類された文献集合と、大量の科学技術定期刊行物およびその他の科学的非特許文献の文献集合を作り上げた。1975年には、特許文献が分類された文献集合は約1千万文献から構成され、その中には、約千件の科学技術定期刊行物に基づく60万件の非特許文献の技術論文も含んでいた。すでにこの時点で、この文献集合は、分類された特許文献と特許関連文献を含むものとしては最大の文献集合の一つとなっていた。

IIB は約4万5千の分類単位の内部分類体系を開発しており、その約3分の1が国際特許分類のサブグループに一致している。先行技術調査の大部分が、全文を含む紙の文献集合を使って行われた。1969年には、IIBは機械可読な媒体でも書誌データを保存し始め、当時はコンピューター支援の先行技術調査に使用された。

協定に調印した加盟国の特許庁のために、IIBは審査手続きに備えて新規性調査報告書を提供した。さらに、1883年締結のパリ条約の加盟国以外の人や機関のために、IIB は依頼人が明確にした主題事項の先行技術調査を提供し、無効調査、パテントファミリー調査、ウォッチングサービスも提供した。

1975年前半に、合計で 800 名の職員がIIBに採用され、そのうちの約500 名が工業/工科大学の学位を所有し、先行技術調査分野で勤務していた。使用言語は英語、フランス語、ドイツ語、オランダ語だった。オランダはIIBに免責を付与し、IIB と依頼人との全てのやりとりは両当事者のみで極秘に行った。これらすべては、将来の欧州特許庁の職員にとっても大体において必要不可欠な条件だった。

実際に、論理的観点から組織の歴史、ツール、必要条件そしてまた特に数十年にわたってIIBで作り上げられた職員や発展を考慮すると、将来の欧州特許庁に関連して重要な役割をIIB に割り当てる考えが政府間会合やミュンヘン外交会議の期間中に深まることは驚くにはあたらなかった。 

 

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次章 16章:1977年にEPOが運用可能に

前章 14章:欧州特許条約-内容と影響