1章: 欧州特許制度に向けた初期の動き

1883年調印のパリ条約と工業所有権保護国際同盟の創立により、グローバル化と世界的規模の特許権の役割の相互理解へ向けた重要な一歩が踏み出された。工業所有権同盟 は当初11か国で構成された(2017年春の時点では177 加盟国で構成)。1883年に調印されたパリ条約は、世界的規模の相互支援と特許権の認識に向けた後期の発展 にとっての第一歩であり非常に重要な基礎となった。この条約の重要な要素は、各国機関によるの特許付与における差別の解消 (発明者は最初の出願国で取得した発明に関する権利については基本的に全ての加盟国内でも認められる) と (当初) 6 か月の優先期間の導入だった。この期間内は、出願者は最初の出願日をその発明の有効出願日として後続する特許出願をする権利を有する。

その後の数十年間において、第一次世界大戦中と戦後の数年間は、特許出願登録の一元化、連携の効率化に向けたアイデアが様々な側面や国々から、ある程度は国際連盟の保護の下でも生まれた。1920年代後半と1930年代前半には、欧州各国で工業所有権の分野における欧州レベルの緊密な連携の傾向が、さまざまな状況下であるが同じような目標を持って示された。例えば、参加国内での特許付与手続きにおける共通部分の一元化、あるいは参加国内で相互に合意している基準に従った審査手続きの一元化である。アイデアや熱意はあったが、1930年代と第二次世界大戦中には経済危機や増大するナショナリズムにより、これらの進歩的な提案は少しずつ消滅していった。

第二次世界大戦後は、構造化、合理化された審査の実施の重要性が初期の段階で取り上げられた。これにより、最終的にオランダのハーグに国際特許協会 (Institut International des Brevets; IIB) が設立されることになった。1947年春にフランス、ベルギー、ルクセンブルグ、オランダ間で締結された協定に基づき、全当事国の批准の後、国際特許協会は1949年に先行技術の調査を開始した。

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