13章: 欧州特許庁の開設準備に関する暫定委員会 – トピックと業績
欧州特許庁の開設準備に関する暫定委員会では、膨大なトピックを明らかにしつつ、その分析や掘り下げを行った。これらの作業は、ドイツからの基礎的な提案から始まったものであり、欧州特許庁の管理理事会による決定とその履行に向け、数年かけて行われた。
この暫定委員会では、欧州特許庁の組織を提案することとなっていた。その提案では、最終的に、欧州特許庁の5つの総局の構造および役割が記載された。(このトピックに関する初期の議論では3つの総局のみ提案された。)法律問題および国際関係を扱う5番目の総局の着想はミュンヘン外交会議の期間中に提起され、最終決定のため管理理事会で提言された。
欧州特許庁では、異なる場所(ミュンヘン、ハーグ)で、異なる部門(総局1および2)により、異なる手続き側面(先行技術調査、審査)により業務が実施されることになっていた。これを踏まえ、先行技術調査、審査そして異議申立ての業務手順には、特別かつ細心の注意が払われた。欧州出願の先行技術調査はPCT国際調査と同様であり、あらゆる先行技術調査の実務には、明確な合理化が必要だった。これは、将来、IIB(国際特許協会)の職員のみならず、外部で採用される審査官も、欧州特許制度の品質のために同一かつ明確な規則に従わなければならないという期待の下で特に重要だった。
この状況において、特に重要な要素は、将来必要な人材に関係する今後数年間の財政計画の策定だった。発足当初の欧州特許庁は、選ばれた技術分野のみ審査可能という事実を考慮することも重要だった(発足当初の欧州特許庁の審査可能な技術分野は51% のみ)。そのため、欧州特許庁が審査できる技術分野が少しずつ増えるように計画を策定する必要があった。また、欧州特許庁の持続可能な発展のための料金体系も規定されなければならなかった。
暫定委員会の業務の課題のひとつは、予期される欧州特許制度の承認を考慮して、追加職員の将来の必要性を見積もることだった。今後、欧州特許制度がどの程度までユーザーに受け入れられ、どれくらいの出願件数になるかを見積もった。1960年代の見積りでは、1970年代に出願される特許出願は3万件レベルとしていた。職員の十分な数と質の課題も、欧州特許庁が十分に機能するためにも重要だとみなされた。(特に、手続き面のガイドラインに従いつつ、3か国語で勤務でき、かつ、持続的に訓練された審査官の確保が課題とされた。)さらに加盟国の職員の割合も考慮する必要があった。
IIB(国際特許協会)と欧州特許庁の統合計画には明確な規則も必要であり、例えば、給料の問題のみならず社会保障の問題も存在した。これらの問題に対して、従来からのIIB職員と同様に、これから採用される職員も一つの枠組みで議論する必要があった。服務規定のモデルは、国内組織と国際組織との間の考えられる違いを念頭に置く必要があった。
さらに、欧州特許庁の建物やその代表的かつ象徴的な機能の問題も解決する必要があった。組織の中枢であるミュンヘンには代表的な建物やその立地場所が必要だった。ドイツ特許庁とドイツ博物館の近くの最終的な提案場所は、政治的および実用的観点からも要件の大部分を満たしているように思われた。地元住民の意見のなかにはミュンヘンのこの場所に対する反対もあったが、最終的にはそこに将来の欧州特許庁の建物を建設する案が採用された。
また、将来の 欧州特許庁のエンブレムの問題も解決する必要があった。最終的には、暫定委員会の最後のセッション中に、実際のエンブレム、すなわち、個性の象徴としての指紋を図案化したものが管理理事会に提出された。(この問題は、エンブレムに特化したワークショップで掘り下げられた。)
1977年9月に、暫定委員会は、管理理事会の決定を待つ 29の包括的文書を準備して最終会合を開いた。ミュンヘン、ブリュッセル、ルクセンブルグでの10回の総会を含む合計450回にもおよぶ会議の日々の約4年間を経て、暫定委員会は1977年10月に開催される最初の管理理事会に備えた。
前章 12章: 欧州特許庁の開設準備に関する暫定委員会 (1974-1977年)
次章 14章:欧州特許条約-内容と影響