56章: 勢いを増す1980年代の三国間協力(2)

プロジェクト1とプロジェクト2の両方が成功するための重要な前提条件として、文字の符号化と画像の符号化の共通規格が必要であった。三極特許庁は最初の3年間で大きな進展を遂げたことにより、将来のデータ交換活動や、特許付与手続きの相互効率化に貢献する一連の関連プロジェクトの道を開くことができた。数年間の準備作業を経て、第3回三極会合において三極特許庁はプロジェクト3とプロジェクト4を成功裏に完了することができた。専門家レベルでの検討の結果、文字及び画像の符号化についての包括的な規格が採択された。

プロジェクト6の「自動検索技術」の枠組みの中で、各特許庁は、プロジェクト1及びプロジェクト2の成果として将来的に相互利用が可能となると予測されるデータ収集に関して、一連のコンピュータによる検索技術の開発及びテストを実施していた。第一段階として、USPTOは検索技術、特に全文検索の可能性を深く検証することを目的とした特別なグループを立ち上げることを提案した。EPOとJPOの支援により、特定分野のすべてのPCTの調査対象文献を含む機械読み取り可能なデータを作成し、1986年末までに特定技術分野のすべてのPCT検索文献にアクセスできるシステムの稼働を開始し、全文検索に特化した検索技術を徹底的にテストすることが目標であった。

最後に、自動化の分野ではプロジェクト7「特許分類体系の相関関係」の協力により、通常使用されているIPC分類体系に加え、補足ツールとして米国特許分類体系を利用することで、EPOにおいて最初の成果を得ることができた。さらにEPOでは、JPOが開発した医薬関連発明の検索用索引体系の利用も試みている。このように、検索支援ツールの活用はその後もEPOでさらに進化していった。

「機械翻訳」というテーマは、1980年代には世界的に関心が高まっていた。また、三極特許庁においても、機械翻訳の利用は早い段階から注目されていた。そして第3回三極会合において、機械翻訳がプロジェクト13として三国間協力プロジェクトに採用された。大部分の文献が符号化された形で利用できるようになり、また、各特許庁の多言語の文献が利用可能となるとすぐに、機械翻訳は重要なツールと認識された。EPOは既にこの時、欧州経済共同体(EEC)と協力してEPO特許要約の機械翻訳のテストを開始していた。興味深いことに、ほぼ同時期の1980年代初頭、急速に発展していたOCR技術へも大きな期待が寄せられていた。当時特許庁では、いつの日かこの技術が、符号化された画像形式で保存されている特許文献のテキストを自動的に、しかもできるだけ誤りのない形で文字化できるような高品質なレベルに発展することを期待されていたのである。

1985年の特許庁によるデータベースのデジタル化及び内製化に関しては、特許庁での検討の結果、このような自動化プロジェクトは、これらのデータベースへの公衆アクセスの需要に必然的につながるだろうという結論に至った。このテーマは、プロジェクト10「特許情報配信ガイドライン」の中で継続的に議論されてきた。三極特許庁間で交換されたデータをどの程度まで特許庁内で利用できるようにするかという問題は、1984年の会合で提起され、1985年の第3回会合ではより具体的な定義がなされた。データの内部使用に関する定義が段階的に、広範に修正され(例えば、特許図書館によるデータの使用が、特許庁間で交換されたデータの公式に認められた使用方法として追加された)、さらに付加価値データ及び付加価値データにおけるデータの区別、(三極特許庁による)公式使用、特許図書館使用、公共サービス使用及び欧州特許条約加盟国の各国特許庁による使用についての区別が議論され、大筋で合意された。

特許情報公開のための包括的かつコスト面で合理的なツールの提供に対する要求が高まる中、1980年代初頭に光学記憶媒体が急速に発展したことにも、特許庁は高い関心を寄せていた。新しく開発されたコンパクトディスク(CD-ROM)のような新しいメディアは、大量のデジタルデータを保存、複製し、関係者(特に増加する特許情報利用者のコミュニティー)へ比較的安価に提供する新しい方法を開いた。特に、継続的な更新を必要としないデータベース、例えば特許公報のバックファイルデータなど、メインフレームコンピュータに代わる魅力的でコストパフォーマンスの高いストレージとして認識されていた。

1985年10月の会合では、プロジェクト8「特許検索結果の交換」の最初の結果が分析され、議論された。このプロジェクトのテーマは、三極特許庁のうちの1つの特許庁で作成した調査報告書が、他の2つの特許庁の特許付与手続きにおいてどの程度利用できるかという疑問によって定まった。議論の結果、これらの報告書は他の特許庁が独自の調査を行う際の出発点としては有用であることが示された。しかしもう一方では、他の特許庁の調査業務に単純に取って代わるものではないことも明らかになった。これは解析の過程で、外国語の引用は他の特許庁の審査官にとって必ずしも理解しやすいものではないという結論に達したためである。また、各特許庁の調査資料の量にも顕著な差が見られることもあった。さらに、法律上の要件や実務が異なるため、他の特許庁の調査報告書をそのまま利用することができない場合もあった。このような制約事項はすべてその後の数年間で調査され、特に法的側面と実務を調和させる努力の枠組みの中で、障壁は段階的に減少していった。

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