59章: 1980年代後半における三国間の進展(2)

三国間の協力においては、1988年は特に忙しい年であった。この年は第5回、第6回と2回の三極会合が開催された。第5回会合は1月にミュンヘンで、第6回会合は10月下旬から11月上旬にかけて東京で開催された。前回の会合で合意されたように、この2回の会合では三極特許庁の代表者が専門家グループと一連の会議を行った。この2回の会合は限られた時間であり、協力プロジェクトに対する作業負荷もかなり高かった。また、プロジェクトの具体的な成果に対する期待も並々ならぬものがあったが、三極特許庁の業務負担も増加していたにも関わらず、両会合ともさまざまなプロジェクトの詳細な進捗状況が報告され、両会合の最後に三極特許庁の代表が署名した覚書では、協力関係の深化に向けたさらなるステップが合意された。

三極のプロジェクトを進めるための短い時間の中で、プロジェクト1「特許出願処理」、プロジェクト10「特許情報配信ガイドライン」、プロジェクト14のサブプロジェクトであるDNAコーディング、そして特許情報データを効率的に一般に提供するための媒体の可能性に関するプロジェクト15に特に重点が置かれた。

三極のプロジェクト1「特許出願処理」に関して、長期的には三極のプロジェクト全体に大きな影響を与える可能性があるため、このプロジェクトに直接関係するものではないが、1980年代の非常に早い段階からJPOは紙から電子特許出願システムに移行することを決定していた。このような背景から1990年以降、特許出願のオンライン化も決定された。このため、JPOは非常に早い段階から、出願システムおよびオンライン出願のインターフェースに関する技術標準を策定する必要があった。いわゆる「ペーパーレス・オフィス」の実現に向け、出願システムの標準化は重要な役割を果たすことになった。1988年当時、EPOとUSPTOはペーパーレス化に関する同様のアプローチについてまだ最終決定を下していなかったが、JPOが積んだ経験と開発した基準は高い関心をもって注目され、実際、紙の削減アプローチ、さらにはペーパーレス化への移行に関して他の2特許庁の決定の土台作りに貢献し得る経験と情報を提供することができた。

プロジェクト10「特許情報配信ガイドライン」については、1983年以来、数年にわたる三国間の議論により、1988年には特許情報をできるだけ広く、ユーザーコミュニティにとってできるだけ有利な条件で普及させることを目的とする相互理解がある程度進んでいた。1988年当時、EPOとUSPTOではこのテーマについて明確な線引きがなされていたが、日本ではまだ他の2特許庁ほどには進んでいなかった。しかし日本では、三国間の調和を強く意識した国レベルの特許情報政策を策定するプロセスが開始された。ここで注目すべきは、1988年6月に欧州特許庁の管理理事会が同庁の新しい特許情報政策を採択したことである。これに基づき、欧州特許情報の自由化に向けた更なるステップを開始することができ、また他の進展の中で、INPADOCの欧州特許庁への統合の可能性も勢いを増していた。

1980年代には、DNA配列を含む特許出願が三極特許庁で急速に増加した。このような出願を内部で、あるいは相互で処理することにより、これらの出願の処理に一連の事務処理上の問題が発生した。これらの出願に起因する問題に対処するためプロジェクト14「自動検索」の枠組みの中で、1988年にサブプロジェクト14.2「DNAコーディング」が開始された。緊急の課題として、三極特許庁はこれらの配列を電子的に取り込むための共通のフォーマットを定義することで、比較的短期間のうちに合意に達した。このプロジェクトの目的は、近い将来これらのアプリケーションを含むデータベースを構築し、コンピュータアクセスによる配列データの検索を可能にすることにあった。

特許情報製品やサービスへのアクセスをより自由にする動きの中、どのような媒体で特許情報を効果的に、そして低コストで顧客に提供できるかについて特許庁間で検討が行われていた。プロジェクト15「特許情報普及のための代替媒体」は可能性のある媒体を分析し、その課題について提案することを任されたものであった。CD-ROMは従来の紙媒体で発行される特許情報と比較して、かなりの利点があると短期間のうちに特許庁間で合意された。EPOでは、1980年代に大量のデータを低コストで公開するための媒体についての内部調査が行われ、CD-ROMがこの目的に適した媒体であろうという結論に達しており、CD-ROMの使用可能性に関するパイロットプロジェクトが開始された。1980年代後半、CD-ROMは一般家庭でも大容量のデータを配布・保存するための主要媒体となった。EPOの内部調査で明らかになった可能性は、様々な側面からも納得のいくものであった。EPOはCD-ROMを効果的に利用するためのアプローチを深め、1989年9月に特許出願データを含む最初のEPO CD-ROMが発行された。これを皮切りに、EPOはESPACE CD-ROMというブランドで特許情報データを収録した一連のCD-ROMを発行した。ESPACEという名称は、「EPOによるCD-ROM上の特許出願の電子保存」を意味するものだった。言うまでもなく、特許出願データをファクシミリ形式で収録したCD-ROMを作成するというEPOのパイロットプロジェクトに、他の2特許庁は当初から、注目していた。

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